「みなよし教育研究会」といううさんくさい名前で学内教育研究会をはじめて1ヶ月。
教育方法学の吉田成章さんと,教育方法学の南浦涼介で「みなよし教育研究会」をはじめた。
いまいちよく意味がわからないとおもう。
組織の大きいうちの大学教育学部には,どちらかというと旧帝大的な部署の教育学の教育方法学の場と,教員養成大的な部署の教育学の教育方法学の場がある。(さらにどちらも研究者養成もしているから余計に外から違いが見えにくい)
吉田さんは前者で僕は後者だ。
20年前まで前者は「教育学部」で,後者の方は「学校教育学部」で異なる学部だったものを統合したので,半沢直樹的に言えば「旧A銀行の人」と「旧B銀行の人」がおり,校舎も違う建物であることもあって,近くて遠い存在の2つの教育学の場(政治的闘争があるという意味ではない)。
なお,どちらかというと吉田さんは広大の教育方法学をひっぱっており,僕は後から来て,部署の中の専門性のバランスからある種便宜的に「教育方法学・外国人児童生徒教育学」を看板に挙げているけれど,僕の方が後からやってきたアヤシイジェネリックだ。
ところが,ひょんなことから,2人で附属小学校のアドバイザーを請け負うこととなった。
これをきっかけに「いっしょに学生も交えてやれるようにしよう」とひと月前からわりと高い頻度で仕事をすることに。
この前の火曜日は,附属小学校のS先生の体育の授業を2人(と院生や学部生も)で見にいき,いわゆる指導助言をした。
S先生の体育の授業そのものもとても刺激的。
今回吉田さんは同世代,「教育方法学」という点でも同じなのだけど,おたがいに歩んできた背景の違いから来るものはある。
それを活かしていくために,いっしょにやっている中で「同じ方向性を示しながら,角度を変えて話していく」ということへの意識がよく向いた。
吉田さんの話,S先生の授業の中で流れに大きな力を与えた子どものつぶやきへの注目も同じだったのだけれど,子どもの学習集団の中でのすがたやつぶやき,そこへの先生へのはたらきかけという点に焦点があたる。
僕の方はと言うと,体育科教育としての面白さや構造への話がどうしても入るのは,これは僕自身が教科教育学出身だからだなと改めて思う。とはいえ今日は教科教育として話すだけでは場に合わないので,「教科としての授業の構造の中で子どもがどう動いたか」ではなく「子どもの成長や動きの流れの中に,この授業の構造がどうはたらきかけてきたか」で話すように心がけながら,教科教育と学習集団づくり的教育方法学の間を取るような感じになった。
「授業を語る」ということの角度の違いは面白い。
2つの教育方法学の場が重なり合うことは広島大学始まって以来のこと。
南浦研究室の学部生が後で「めちゃくちゃ面白かった」といっていたのも印象的で,こうした流れが形になっていくことをねがってやまない。
来週も「みなよし」で附属小へ。ダサい名前かもしれないけれど,見方を変えれば,All Betterということで。
(サムネイル写真はTeams用に生成AIで作成したロゴ。うーむダサい。新美南吉研究会ではありません)