留学生×学部学生 家から話す学芸大 インタビュー4

私たちは、令和3年7月6日に澤田光穂子先生にZoomでお話を伺いました。  

澤田先生は、国際バカロレア認定校である東京学芸大学附属国際中等教育学校で英語の教員をされています。澤田先生には、アメリカへの移住や留学などの経験があります。私たちは、移動する人生や国際バカロレアの取り組みについて詳しく伺いました。  

聞き手
凌楊 東京学芸大学の研究生
相子瞭知 東京学芸大学の2年生
清水若葉 東京学芸大学の2年生

澤田先生ご自身の話 

私たちは先生のこれまでの人生の歩みを詳しく聞きました。    


澤田先生:私はもともと岐阜県で生まれてるんですけど、小学校一年生までは普通に日本の小学校とか幼稚園とかに通っていて、小一の時父の仕事の都合で、アメリカのインディアナ州に引っ越しました。小学校二年生から高校一年生まで、まあアメリカの現地校に通いながら、土曜日は日本人学校に通いながら暮らしてました。で、高校一年生の時にまた父の仕事の都合で帰国をして日本の公立の高校に編入をしました。二年ちょっと日本の普通の高校出過ごした後に、受験をして、早稲田の国際教養学部に入りました。その課程の中で留学が一年間必須だったので、大学の二年生から三年生、一年間留学をしました。そのあと戻ってきて、卒業したのちに、二年間ハワイの大学院出言語学を勉強して、それを卒業した後に、たまたま先輩の紹介で、今の学芸大附属の国際中等に努めています。 

アメリカの思い出――本当の自分を探る道  

お父さんの転勤でアメリカに引っ越した澤田先生は最初は苦労をされたそうです。アメリカの文化に馴染んでいく中で、だんだん自分はアメリカ人だと思うようになってきました。それで、高校時代日本に戻ったときはしっくりこない部分があったそうです。それもあって、大学時代は海外に留学を決めたということです。そして大学院もアメリカで。 「昔のアメリカ人と感じてたような自分がよりフィットできる環境を探したり、今の職場も帰国子女の先生と学生が多く、そういった自分がより楽だと思えるとか、気が許せるような考え方だったりとか、いろんなオープンな考え方を共有してくれるような環境を自ら探してる部分はあるかなと思います」と、澤田先生が言いました。  

私たち3人は、先生のような海外へ移住した経験がなくて、そのような人生は魅力的だと思い、それについて先生が感じたことを伺いました。すると、先生は笑いながら、「うーん、今となっては楽しいなぁとは思うんですけど、そこにたどり着くまでには、結構いろんな葛藤があったりはしますね」と答えました。 澤田先生は昔を思い出しながら、ゆっくり私たちと話してくれました。「初めにアメリカに行った段階ではまだ小学校二年生だったので、英語も全くしゃべれなかったし、カルチャーショックだったりとか、自分自身、日本人の自分が受け入れてもらえないようなことも結構ありました……」    


それから先生は途中で引っ越しし、アジア人が多いところに行きました。地域の背景により、より多文化に触れる機会が多い学校に転校しましたので、そこでやっと馴染めるようになったそうです。ただ今度は、言語的に一日中学校で英語をしゃべっているので、日本語にインプットが減ってしまい、先生は日本語よりも英語の方が楽だというふうに感じるようになった、と言われました。 「言語的な不自由さは常にありましたし、アイデンティティという部分でも、はじめは自分が日本人からアメリカの文化になれるのにすごい時間がかかったし、今度アメリカから日本に帰るときも、またちょっと変わったもの扱いを日本の高校でされて、常に自分のアイデンティティとしては、自分はなんなんだろう、どっちでも100%受け入れられない、そして自分自身も100%納得できる場所がないということがすごく葛藤しましたね」先生は昔を思い出すように笑いました。 


その後、先生はその答えを模索するために、いろいろ頑張りました。いろいろなことを経験したり、たくさんの人の話を聞いたりして、ようやく自分の中での落としどころを見つけたそうです。 「アメリカにも日本、どちらにも良いところとあまり好きになれない部分があるな、ということを正直に認めることで、ありのままのアメリカや日本を自分の中で受け入れるようになり、どちらの国でも気軽に過ごすことが出来るようになりました。また、海外もそのようなことを念頭においておくことで、気楽に行けるようになりました。 と、先生の表情が明るくなりました。   


 日本語より英語の方が楽だと思った澤田先生は、最終的に、母国の日本で教員になることにしました。私たちは「どうして日本で教員をすることにしたのですか」と聞いたところ、「自分は結局日本生まれで、日本人ですね。ある程度自分の日本人としてのアイデンティティも大学に確立していく中で、その日本人という人間がいいところもたくさんあるのに、もったいないなあと思う部分もあって、日本を変えていけたらいいなというふうに強く思っていました。大人はすでに人格が確立していて変えられないと思ったので、子供たちだったら次世代の社会を作っていくから、そういう子たちにしっかり意見を言うことを教えるとか、いろいろなことを自ら調べて考えて知っていく、発信していくということがしてもらえたらいいなというのがすごく強いきっかけでしたね。それで先生になりたいというふうに思うようになりました」と、先生はこう言いました。  


 澤田先生は日本に帰ってきた段階から、何で日本人は自分の意見を言わないのだろうと、強く感じました。それで、日本で自分の力でできる限りのことをしたいというふうに思ったそうです。 「やっぱりそれは先生で、英語を教えることで世界が広がっていくということもあるので、言語だけ教えるんじゃなくて、その世界への窓を広げるという意味でも、こう英語を教えることで、こんなことがあるよ、みんなが知らないこんな世界だよ、みたいなことを生徒に教えられたらいいなと思って、日本で英語の先生になりことにしました」と。私は先生の目に希望の光が見えました。  

国際バカロレアの研究のきっかけ  

私たちは澤田先生がどのようなきっけで国際バカロレアの研究をしているかにも興味がありました。まず先生自身の経験が国際バカロレアの研究に影響しているのか質問しました。すると、先生の答えは少し意外なものでした。 先生ははじめからIBを教えようと先生になられたわけではなかったのです。 


澤田先生:実は、国際バカロレアについては今の学校(国際中等)には就職するまで知りませんでした。今の学校がたまたまIB校だったため、研修などから理解を深める機会を得られました。ただ、概念中心の学び、評価方法をあらかじめ提示して正当に生徒を評価するほか、横断的な学びといった「IB的なアプローチ」はアメリカでの私自身の受けていた教育に近いものがありました。そして、結果論としてそれらの学び方は自分が求めていた教育像と近かったのです。こういうことがあって、IBの発想と私のやりたいことがとてもぴったりきたのです。  

国際バカロレアの英語の授業での活用  

その次に、私たちは実際に澤田先生が担当されている英語の授業の様子に迫りました。国際バカロレアを英語の授業でどのように活用されているのかを聞きました。    


澤田先生:英語が一番分かりやすいですが、言語として文法を教える際にいろいろな分野のトピックが英語の語彙を増やすために使われます。さらに、それらの文法や語彙は話たり、書いたりする材料になります。そのトピックの部分にもすでにIBの要素が入っています。例えば、帰国子女の授業では、ジェンダーの問題、環境問題、メディアについてを扱いました。英語で読んだ分野が社会や理科、国語など別の教科につながるものです。それ以外にも、英語の授業の活動でのプレゼンテーションのスキルが他の活動でも応用できますし、それに加えて英語で文章を書いたり、スピーチをしたりする際に必要な論理的な文章の伝え方なども学習します。このように、英語を通してスキルやトピック、さらに物事の論理的な考え方などを英語という言語を通して学び、それらが他の教科と通じる概念を生徒に提示することで、横断的な学びが可能になります。   

IB=英語の授業というイメージ  

私たちは、初、国際バカロレアとは英語の授業でやることというイメージがありましたが、実際はそうではないようです。国際中等では全教科の先生が国際バカロレアを意識した授業をしているのか、質問しました。    


澤田先生:IBは英語の授業だけではないです。IBとは、世界で同じシステムで教育を受けられるというもので、すべての教科がIBのフレームワークの中で行われます。その枠組みの中では、英語も、決して『英語』という教科名ではなく、『言語習得』という教科の中の『第二言語習得』という位置づけになります。IBは概念として考え方や教えるスキル、評価のためのルーブリックが決められていることが特徴で、振り返りをはさみながらのプロジェクト型学習を通して、概念として構築されたいろいろな教科の知識を活用し、問題解決をする力を身に着けます。  


  こうしたことを受けて、IBの授業で学んだことを他の領域の問題解決に生かすということかと聞きました。先生は頷きながら、以下のように答えてくださり、国際バカロレアの意義を知ることができました。    


澤田先生:まさにそうで、“problem-solving”とよく言われるように、なにかしらの課題をいかに自分の知識で解決し、発信するかということです。実際に社会に出ても何か一つの教科の知識のみを使うわけではないので、社会に出て必要な能力を身に着けるためにIBを使った授業があります。  


澤田先生から私たちへ 

インタビューも予定していた時間の終盤を迎えたころ、私たちは事前に考えてきた質問の最後である、澤田先生から私たちへのアドバイスをお願いしてみました。まず、英語の授業をされる際の帰国子女のクラスと日本人学生のクラスでの授業をするうえでの意識の違いについてお聞きしました。今回インタビューを行った私たち3名は英語の教員志望ではないのですが、将来教員となるうえで帰国子女等をはじめとする多文化的な環境に置かれる可能性も高いと考えており、そういった場で実践をされてきた澤田先生のお話は大切なアドバイスになると考えたためです。 


澤田先生:帰国子女の生徒も日本人の生徒も、最終的に持っていきたいところは同じです。 なので文法の説明をする量以外は、授業内容も意識もあまり変わらないかも。日本人の生徒 に対しても、中学1年生からジェンダーなどの社会的なテーマを提示してディス カッションなどの授業を行っています。 


最後に、将来より一層多文化的な環境になっていくと考えられる学校現場で教員となることを目指している私たちに向けて、大学生のうちにやっておいてほしいことなどを改めてご自身の経験も交えながらお話頂きました。 

澤田先生:とにかくいろんな考えに触れてほしい。国もそうだし、日本の中の地域でも。 
以前地方に行った際に、東京の国際中等教育学校でやっているIBを取り入れた授業を、全く同じように日本の農村部でやって同じ効果が得られるかと言えば、ちがうのではないかと思ったんです。その地域に合ったやり方、取り入れ方があって、それを模索しなくてはいけないんだろうな…と。だから、いろんなところへ実際に行って、いろんな考え方に触れることで、深いところまで語ることができるようになると思っています。 
あとは、大学生の間に自分自身と向き合う時間をとり、自分は自分でいい!って思えるようになることも大切かも。 
今では、日本人の自分とアメリカ人の自分がくっきり分かれている、とか、どっちでしかない、もしくはどっちでもない、というわけではなくて、むしろ日本人らしい自分とアメリカ人らしい自分で異なる部分も半分ぐらいあれば、重なる部分も同じぐらいあって、それをわざわざ国で分けて考えなくても、単純にそんな色々な要素を持っているのが自分、って考えれば良いのかな、って思うようになりました。 


自分を認めていくうえで、とっても重要となったポイントもお話頂くことができました。 

将来私たちが実際に教員となる夢を実現し、そのような生徒に出会ったときに、そう思って 

もらえるような教育の場がつくれたらと思います。 

感想 

先生の話を聞き、とても勉強になりました。特に「言語で世界への扉を開く」という言葉に印象的です。自分に使命感を与え、次世代教育に身を投じるという、どの時代でも先生の存在は必要不可欠だと思います。そして、バカロレアの観点は、教員じゃなくても、将来いつか子どもの初めての先生である親になる私たち若者にとって、日々の生活で自分の子にそういう考え方に馴染むようにして行けたら有意義なことだと思っています。 (凌) 

澤田先生の文化と文化の狭間にいるという経験の話を聞けたことが印象的でした。私はそのような経験がないため、新しい世界を知ることができました。「私って何だろう」という葛藤は想像できないほど苦労されたんだろうと感じました。先生がおっしゃっていた、国籍だけでなく自分の周りにも想像以上にいろいろな人がいると考えると、自分はどのようにそれらに影響されているのかと、さらに想像を膨らませていきたいと思いました。(相子) 

これまで、バカロレアはなんとなく英語の教育法だというイメージを持ってしまっていました。しかし、実際には社会的な話題を扱ってディスカッションなどを行う、どの教科でも実践できるものであると知り、帰国子女のように海外や学校外での多様な視点を持っている生徒ではない子どもたちにとって、ジェンダーなどの社会的・世界的な話題を学ぶことのできるとても効果的な機会であると強く感じることが出来ました。コロナ禍でなかなか東京から出られない今ですが、澤田先生の移動する人生のお話をたくさん伺うことができ、自分もいろんなところへいってみたい、学んでみたいといったコロナ後への希望も強くなった気がします。(清水)