広島大学での第1期学部生ゼミ(院生も参加中)。
山口大学のときは社会科教育+小学校教育。東京学芸大学のときは日本語教育。
そして広島大学では教育学。所属している学習開発学の教員メンバーの中で担当ってなんとなく決まるので,もともとの専門だった外国人児童生徒教育に加え,教育学の中でも教育方法学(心理学的な方向性からの方法論ではなく,教育学的な角度からのものとしてなので,結果的にカリキュラム論,授業論,評価論が中心となる)や教育制度,またこうしたことの方向からの教師教育学が中心になる。かなり広汎な内容を扱うゼミになった。
最初みんなで何をすることからはじめようかと思っていたら,4月から思いがけず台湾からの留学生(芸術教育)も見ることに。
で,これ幸い(?)と学生たちと相談し,「みんなで得意じゃない言語の英語の文献を読もう」(当初は阿鼻叫喚の反応)ということになった。(ちゃんと書くと,院生と学部生のゼミ長と相談して「どうかなあ」「大丈夫かなあ」みたいなところからおずおずと出して,結局全体では留学生も含めて阿鼻叫喚だった笑)
というわけで,内容的テーマ的なものを色々探れるものとしてDarling-Hammond & Bransford (2005) の”Preparing Teachers for a Changing World: What Teachers Should Learn And Be Able To Do” 。それと,研究や実践,世界への関わり方接近のしかたを探れるものとしてLeavy (2021) の “Method Meets Art: Arts-Based Research Practice “を読むことに。
今日はそれぞれのグループごとに「序章」(といってもかなりの分量がある)を読んできて話し合う日。
当初阿鼻叫喚だったのだけれども,ただ,こういうタスクって,「結果」ばかりが重視されると,「読めたか読めなかったか」「分かっているか分かっていないか」「いいレジュメかどうか」ばかりで評価されるようになり,それがもっとも学び手にとってはつらいものとなる。
背伸びをする挑戦が楽しいものになるには,そうではなく「過程」を楽しめるものであるようにすることがまずもって大事。その上で自分なりの「結果」(読んだという実感からくる自信)が得られればしめたものだ。
だから,それが得られるようにこちらとしてもかなり準備をすることがいる。たとえば,
こうしたことがあったからか,いや,そもそもおそらく学生の能力がとてもあったからで,結果びっくりするくらいよく向きあっていた。(正直ほっとした)
院生の巧みな促しもあるのだけれど,3年生の力に圧倒されました。
上のリストに書いているように,いずれにしても,この段階で大事にしたいのは,内容を精緻に理解することよりも,安心できる環境の中で互いの考えを交換したり,難しいものに向きあったり,英語に関わったりする中で,一緒にがんばっていくことや,精読より自分なりの読みを大事にする態度や,翻訳機の扱い方なども身についていく。結果的に生まれた「読んだ」という感覚の自信もその上で大事なことになる。
何より,チャレンジしてきたものをもとに交換することで,互いの不安も含めて濃い話も生まれていた。(ような)
内容もさることながら,こうした経験がやがて力になっていくといいなあ。