授業をつくる 学級・学校をつくる 地域をつくる 多様な人が共に生きる
「教育」のビジョンを持ってそのカタチをデザインし、実践できる人を育てる研究室です
さらに、外国につながる子どもたちに代表されるように
多様なことばと文化を多様に持つ人たちも共にあり、いっしょに力を育むにはどうしたらいいかを考えています
ときどきの研究室ノート 8/1
この時期は毎週どこかしかの研修。前任校の縁を続けてもらって,過日は東京都で日本語指導の研修。
「読む・書く」の研修をここ3年ほど担わせてもらっている。
神田桂一・菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社, 2016年)をネタにして機能言語学的な視点をもとに学校の文体分析。そして作文活動への応用を軸にしている。毎回少しずつ理論的なものをブラッシュアップしている。日本語指導における子どもたちの「書く」「読む」を「ちから・能力」の話ではなく,「すがた・陶冶」という視点から捉えていく流れに。
先生方の元気な文体分析活動とともに,そこに「陶冶」の視点を提供していく。「能力」に拘ることで忸怩たる思いを持っていた枷を外し,少しずつ解放感覚を作っていく。このときの先生たちの眼の感じがとても好きだ。活動で発散されたあとの100人以上の教室の空気がグッと集約されていく感じ。
こうした自分の子どもたちに対する教育の授業論・カリキュラム論としての理論的研磨。これはどこで生まれるかというと,僕の場合は,実はかなりの部分,先生方とのやりとりの中で具体化されていくことがとても多い。
その点で,研修は「伝える」機会でもあるけれども,まちがいなく,僕の方が「もらっている」機会でもある。
外国人児童生徒教育の研修をするとき,「言語教育」としての研究や実践で語られてきた世界観と,「学校教育」の世界観の間にある微妙な間合いや隔たりがあり,それが学校の先生の感性として,「ああ私はこれは難しい」と離れていくことが多いような気はしている。
僕は基本的にそうした研修スタイルにはやや距離を置きながら,現場に寄り添いつつも,理論的な視点も提起したい。教育学研究者という立場だからこそできる研修は何か,この夏も考えていきたい。
――「そうじゃないかと」って,プーのやつ。