授業をつくる 学級・学校をつくる 地域をつくる 多様な人が共に生きる
「教育」のビジョンを持ってそのカタチをデザインし、実践できる人を育てる研究室です
さらに、外国につながる子どもたちに代表されるように
多様なことばと文化を多様に持つ人たちも共にあり、いっしょに力を育むにはどうしたらいいかを考えています
ときどきの研究室ノート 6/15
「場とものと人」の間に流れる見えない網の目のような力学を存在として感じられるようになったのは,思えば大学院生の頃だったかもしれない。
「異文化間教育」という学をずっと演習形式で学ぶ学部生の授業を受けていく中で,当時のその先生の話を聞きながら次第次第に見えてきたように思う。
それから20年近くの時が流れ,あらためてこの網の目の力学を教育に活かすものとして「生態学的アプローチ」に出会い直すことになった。
ここ数回連続して行なった研修で話したことの底にあるテーゼとして,「生態学的アプローチ」を使って話をした。実際,最近にいたるまであまりこの考え方に自分自身がピンときていない,落ちきっていないなと思っていた。
もともと幼児教育や保育の場では養成でも理論的には一般的だったと思うのだけれど,自分自身が初等中等教育の養成をになっているからか,遠い存在になっていたのかもしれない。でも,自分自身の子育てを見ていても,また,たとえばゼミの中の場づくりや人育てを見ていても,もっと言えば「授業」という場でさえも,人を育てるという発想は,空間と時間の広がりを見ながら,歴史や制度の力学もなんとなく感じながら,ちょっとずつ何かをしかけつつ,相手の反応を待つことで成り立っているよなと思うことは確かに多い。
「ねらいを書きましょう」「発問を研ぎ澄ましましょう」「指示を明確に」というのは集団を説得力もってクレームなく動かしていくための武器ではあるけれど,人の育ちをそれだけでとらえていくと,案外むずかしい。硬質なひずみのようなものがうまれる。
とはいえ僕らは制度の中に生きている。アカウンタビリティや納得づくりの中にも生きている。そうした中でしたたかに,場とものと人との間に流れる網の目のような力学を巧みに使いながら,動いてみたい。
――「そうじゃないかと」って,プーのやつ。