留学生×学部学生 家から話す学芸大 インタビュー1

インタビューという課題のため資料を調べるときに、「変人類学研究所」という研究所が気になって、この組織について調べました。ちょうど東京学芸大学の小西公大先生が変人類学研究所の所長を務めているため、お話を聞かせてもらいました。お話のなかで、神谷日向子さんのことを知り、自分の「変なところ」を生かして生きて、堂々と自分が「変人」だと認めている人だと聞いて、どのような方なのか興味を持ち、インタビューをさせていただきました。 

神谷日向子さん

変人類学研究所主任研究員。津田塾大学国際関係学科卒業。去年東京学芸大学の大学院総合教育開発専攻を修了し、今は会社員です。 

聞き手
蘇施源 東京学芸大学の研究生
高橋彩希 東京学芸大学の2年生

 

「変人類学研究所」に入ったきっかけ 

神谷:神谷日向子です。去年学芸大の大学院を修了しまして、総合教育開発専攻というところの所属でした。小西公大先生とは津田塾の大学の3年生の時にお知り合いになって、仲良くなりました。その時、変人類学研究所がちょうど本格始動する頃でしたので、そこに関わらないかと声かけてもらいました。大学院に私は3年間ましたので、5年前から変人類学研究所には関わっていました。そこでちょこちょこ遊びつつ活動しつつで、今は普通に会社員をやっています。 

蘇:はじめにお伺いしたかったことは変人研に入ったきっかけはなんですかということです。神谷さんが大学生の時に小西先生に誘われて、変人研に入ったのですよね。 

神谷:そうですね。私が誘われた当時は、まだ変人研も具体的にこう何するかとかどういう風に活動していくかとかも、全然決まっていなかったです。とりあえず「変人を研究したいよね」と言われて、「神谷は変だと思うからおいで!」みたいに言われました。私も「あ、はい!」とか言ってしまってね(笑)。それでという感じでしたね。だから最初は別にその変人研に入ることで、こういうことをやってやるのだとか、ちゃんとした志とかはなくて、勢いで参加してみました。 

神谷さん「変人類学研究所」に入ることも、偶然の機会とも言えますね。このような、はっきりとした目的がないからこそ、自分の方向を見つけられたのではないかと思います。 

「変」についてのお考え 

蘇:神谷さんは何が変、あるいは変の定義は何だと考えていますか? 

神谷:あー、変の定義ね、難しいですね。自分が言う場合と他人から言われる場合で定義づけるとしたら、もしかしたらちょっと違うのかなと思っています。他人からラベルとして「変な人だね」と言われる場合というのは、大体は自分と他の人と比較して、違いがあることですね。それが好意的な場合もあれば、否定的な場合もあります。でも、多くはマイナスの意味ですね。「変人だね」という人が日本では多いのかなと思っていて、他者ありきでその違いというところで、変ということがあるかなと思いますね。  

私個人が自分で「変」という言葉を使う時は、どういう意味のほうが多いかと言うと、最近は「面白いね」ということと同義になりつつありますね。その人のオリジナリティみたいなもの、個性と言ってしまうと安易ですけど、別に必ずしも相対評価ではなくて、絶対としてその人の面白さが光っているとか、その人の感性とか、興味深いと思った時に変だねと言いますね。誰かというよりかは自分と比べて、自分と違って面白いという時に変という言葉を私個人は使うかなと思っています。 

蘇:僕も変という概念に明確な定義付けはできないと思いますね。中国社会も日本社会も同質化を求めている感じがしますね。他人と違ったら、自分が変で、社会に溶け込めないという感じがします。これからの世界は人口がだんだん減っていくと思いますが、もっと人々の個性を生かせるようになれば、多分社会がもっと良くなれるのかなと考えました。 

神谷:うんうん。 

蘇:では、神谷さんはどうしてそのような変人が生まれるかについてはどう考えていらっしゃいますか? 

神谷:変人が生まれるのは、自然現象だと思っています。ただ一人でいる空間の中で変人が生まれるのは難しくて、集団など人が集まった空間とか、ルールとか常識みたいなものが円の中心にあるとしたら、そこにどうしても添い遂げられない人とか、最初はルールに則っていたのに、気づいたら外れてしまった人とか、そういう人が変人と言われるのかなと思います。  

蘇:社会の中に生まれる変人という感じですね。誰もが変人、つまり誰にでも人と違うところがあると思いますね。 

神谷:うんうん、そうですね。 

蘇:誰かと全く同じになったら、存在する意味がなくなると思いますね。 

神谷:うん、そうですね。蘇さんが言う通り、同じ人が学校で変人だけど、バイト先では変人じゃないかもしれませんね。例えば、蘇さんが中国では変人かもしれないけど、違う国に行ったら変人じゃないかもしれなかったりしますね。皆個性的で、皆違うからこそ、所属するコミュニティや集団によって「変だよね」と言われることもあれば、「変じゃないよね」と言われることもあると思っています。 

高橋:神谷さんは、自分のこういうところが面白いなと思うところはありますか? 

神谷:難しいね、なんでしょう。私は結構直感というか、そういうものを信じて生きています。それは考えすぎてしまう性格の裏返しであって、本当はすごく細かいことが気になるし心配性ですから、インスピレーションファーストインプレッションをすごく大事にしています。「行っちゃえ」みたいな自己矛盾というか、自分で自分を把握できないところがありますけど、自分でそういうわけわからなさを面白がっている部分があって、そういうところがいいと思いますかな。 

高橋:その考えすぎる性格というお話もありましたけど、その他にありますか? 

神谷:そうですね。人間は、皆が小さい時は変人だったみたいな話とかですね。日本の場合かもしれませんけど、学校教育とかの中でだんだんその圧力やルールみたいなものを内包化していきます。だんだん人と合わせるのが当たり前で、社会に適合していくということが常識になっていることから考えると、多分皆の子供の時はどこかがおかしいと思います。そこを維持しながら、ここまで来てしまったから、多分「変差値」が高いと言われているのかなと思います。 

高橋:なるほど。 

神谷:だから自分が変だねと言われるようなその性質がいつからかと言われると、多分生まれた時からのものを皆が知らず知らずのうちに捨てたり、隠してきたものをあけっぴろげにしてしまったりして、堂々と表現してしまうと「変だ」と言われるだけかなと思っています。ルーツと言うと、多分小さい時からのものを捨てきれなかったとも言えるし、隠しきれなかったとも言えますね。 

蘇:そうですね。 

神谷:私も学校などの集団みたいなところに入る中で、当たり前とかルールに少し沿っていない変な子だなと思われることも多々あって、それがマイナスの意味で作用することもたくさんありました。だから私も皆と一緒になろうとか、目立たないようにしようとか、そういう努力をした小学生時代と中学生時代はやはりありました。でも、捨てきれなくて高校とか大学とかで、皆の許容の範囲が広がっていったり、面白がってくれる人が一人とか二人とかいたりすると、やはりだんだん「あ!私はやはりその元からの変な性質を大事にしていいかも」と思えてきましたから、今こうなっていると思いますかな。だから失った瞬間もありましたけど、今ちゃんと取り戻しているというのが正しいかなと思います。 

変人が生まれることは、社会の中にある現象で、「ただ一人の変人」が存在しませんね。社会にルールや常識が作られたからこそ、それに沿っていない人が変人と言われることが生じました。また、「誰もが変人」ということも分かりました。この世にいる誰も他の人と完全に同じということがありませんね。本当にそうだとしたら、その人自身の価値のなくなります。神谷さんも、自分の変さを捨てようとした時期がありましたけど、今はちゃんと自分のユニークさを取り戻せてよかったです。

人生に生かせる「変なところ」 

蘇:神谷さんは一度就職活動をしたあと、大学院進学を決意したと聞きましたが、それはなぜですか? 

神谷:それは学部生の時に一応周りがやっているから一回就職活動をやっておくか,ぐらいの気持ちでやって、内定をもらっていいました。でも、もうちょっと勉強したいという気持ちがすごく強くなって、大学院に行きたいと親に話しました。親からしたら、「ちゃんとした大きい会社から内定もらっているのになんで行かないの?」みたいな感じで、「大学院は別に働いてからお金貯めて自分で行ってもいいじゃない?」みたいな感じでした。 

高橋:強く反対されたのですね。 

神谷:そうですね。でも、私は絶対に大学院に行くべきだとすごく直感的に強く思っていましたから、散々討論して最終的に自分で学費出すから行きたいと言って、結局親が「そこまで言うのだったらいいよ」みたいな感じで、学費も結局サポートしてもらいました。 

高橋:なるほど。ご両親の反対を押し切って、自分の決めた道を進むのはとても勇気のいることだと思いますが、不安だったことはないですか? 

神谷:いや、ありましたよ。結局親が折れてくれるような形で進学できただけに、どこかやはり後ろめたさではありませんかけど、恩を返さなければいけないと思う瞬間はありました。でも、進学すると自分が決めた道だから、選んだ道を後から振り返って、よかったと思うかよくなかったと思うかは、これからの自分の行い次第で、いくらでも変われると思いますから。 

高橋:私も今、将来のことで父や母とすれちがってしまったりすることもありますので、今の話を聞いて勇気をもらいました。頑張ろうと思います。 

神谷:そうですね、自分が信じる道でしたら。 

蘇:最後に、変人研に入ってよかったなと思うことはありますか? 

神谷:入ってよかったと思うことはやはり人との出会いが一番大きいと思います。変人研にいる他の大人たちは、皆いい意味ですごい子供の心を忘れていないと言うか、子供以上にはしゃぎますし、子供以上に何かに夢中になりますし、それを面白がっている人がすごく多いですから、これまであまり出会ったことのないような人たちがこんなにたくさんいて、世の中が明るいなと思いました。今まで、自分はすごく社会や学校の中で息苦しいと思う瞬間は多かったですし、どうして自分が皆と一緒にできないだろうと思う瞬間もありました。たまたまそういう環境を引き当てていただけで、行くところに行けば、面白い人がいるというのがやはり一番の心境の変化としてはすごく大きかったです。 

蘇:確かにそうですね。志が合う人と出会えることが自分にとってもすごく嬉しくて、世界が明るくなりますよね。 

神谷:はい、そういう環境に自分が入ることで自分の「変差値」、行動力とか、発想力などがどんどん加速していく感じもすごく変化としてはありました。もちろん、昔からとりあえず直感で動いてみることはありましたけど、それがどんどん増していって、勢いで「あ、できる」と思ってやってしまうとか、自分のアンテナとかもすごく磨かれていっていると思います。変人研では磁場と呼びますけど、そういう磁場が変人研にもあって、そのような空間だからこそ、もっといろいろな面白い人が引き寄せられてきます。蘇さんも高橋さんも、引き寄せられたということは、多分そこに何かがありますね。そういう心境や行動の変化とかは、これからもあるかなと思います。 

神谷さんは大手企業の内定をもらっているのに、就職せずに大学院に行ったのも、一般の視点から見ると「変」ですね。でも、その変さがあるからこそ、大学院に行けて、より自分にふさわしい人生の道を歩んでいます。誰にも迷う時があると思いますから、その時、自分の直感を信じて、後悔せずに自分が選んだ道に沿って行きましょう。私は自分のユニークさが、必ず行くべき場所へ導いてくれると信じています。 

インタビューを振り返って 

神谷さんの話から、自分と似た人生経験がありました。私自身もよく自分のことを疑う性格ですので、自分がした選択や選んだ道に「これでいいのか」とよく思います。例えば、コロナ禍中に留学をするべきかとか、大学院に行くべきなのかのような質問がよくあります。でも、神谷さんが話を聞かせていただいたあと、自分の道に沿って行けば、なんとかなると思いました。(蘇) 

神谷さんのお話を聞いて、自分のなかでずっともやもやしていたものの突破口が少し見えたような気がしました。特に最近は、自分のやりたいこととやらなければいけないことが合わないことが多くて、自分の直感を信じることができなくなっていたので、神谷さんの「周りと異なったとしても、自分の直感を信じて動いてみる」という言葉がすごく突き刺さったし、背中を押されました。また、インタビュー中、終始神谷さんがとてもキラキラした目をしていらっしゃったのを見て自分もそんな風になれるようにたくさんこれから動いていろいろな経験をしてみたいと思いました。インタビューにご協力いただいた神谷さん、小西公大先生、本当にありがとうございました。(高橋)