来年度の研修の依頼がときどき来る時期。
僕に来る依頼は大抵,外国人児童生徒の教育で,多くの場合はそうしたことにそれほど蓄積のなかった地域からの依頼が多い。
ありがたいことです……。
指導主事さんとお話をしていると,指導主事さんも「私も今年この担当になったばかりで…… ぜんぜんわからなくて……」ということを言われることがとても多い。(そうなんですよね,わかります…!)
こうした外国人の散在地域(集住地域ではないという意味)を考えると,本来対応のキーは学校にあるよりも,むしろその地域の自治体の教育行政にある。自治体が学校によらない分散的カリキュラムをどう作っていくかということはけっこう大事。
例えば,地域の日本語教育をオンラインで結び合うことや,地域で「外国にルーツのある子どもの作文コンテスト」を開催して各学校でそれに向かって授業をするとか,先生のネットワーク化や……。
一つ一つの学校にそうした外国人児童生徒が少なかったことや,その子が卒業したら終わっていく話だったりするからでもあるためだ。
ところが,これが難しい。というのが冒頭にあったように,自治体の教育委員会事務局の指導主事さんも「私も今年就いたばかりで……」だからだ。
そう。もともと,自治体の教育行政に専門知が「蓄積」されていくことはけっこう難しいこと。
教育委員会事務局は首長部局出身の一般行政職員(行政のプロ)と教員出身の指導主事(教育のプロ)で成り立っていることが多いのだけど,前者は数年で首長部局に戻るし,後者は教員のキャリアの中で学校の管理職として学校に戻る。
つまりどちらも数年で戻ることが多いので,結果的に行政のプロと教育のプロはいるけれど,「『教育行政のプロ』による『蓄積』」というのはけっこう成立しにくい構造もあるわけで。
自治体の行政はそもそも,1990年代以降とくに,「特定分野の専門性」よりも「全体的な総合性」を重視する構造になっているために,人はどんどん異動するのが前提。
異動があっても「恒常的な教育テーマ」(学力向上や特別支援など)であれば意識として部署にのこるのだけれども,それ以上に「局所的な教育テーマ」(外国人児童生徒教育など)だと異動によって引き継ぎもなされにくく,いつまでも部署に専門知が残らない。
多くの教育関係者は「自治体がしっかりしてほしい」「指導主事さんがしっかりやってほしい」と願う。
たしかに本来の公立の教育の中心である自治体(国以上に自治体が重要)が,外国人児童生徒教育の分散的カリキュラムを主導して整備していくことは重要なのだけれど,そこには,専門知が蓄積されにくいところがある。これはあまり研究もされてきていない気がする。(もちろん,それぞれの主事さんはがんばっています)
今,文部科学省と各学校,あるいは大学が「体制整備」して色々なことをやっている。
折しも昨日,前任校の東京学芸大学の「高等学校の日本語指導体制整備」のシンポジウムに参加した(昨年まで画面のあっち側にいたのかあとちょっとノスタルジー笑)。
実践現場の先生の素敵な実践や学校全体の取り組みが見られたわけだけれど,あそこの場に自治体の指導主事さんや職員さんは組織的にどの程度参加していたのだろう(もちろん参加せよという意味ではない)。
この,「構造的に自治体に専門知が集積しにくい問題」はどうすればいいのだろうか… と悩ましいのだ。