外国人児童生徒教育関係で教師や支援者は増えているのに,「研究者」が一向に増えないというのがあります。もっといえば,教師や支援者だって増えているのかもしれないけれど,学校そのほかの組織の中で俯瞰的視点を持って教育に関わることが増えているかといえばそうでもないかも知れません。
これを,個人の能力の問題として捉えることではなく,もう少し「しくみ」の面から考えていかないといけないだろうなと,とみに思います。
さてそこになにがあるのだろうかと考えると,いくつか思い当たります。
①学校教育と言語教育をどちらも考えられる場が重要なのだけれど,ほとんどの場合別の組織
前者の学校教育に関することというのもとても広いのですが,とくに「学校」という場を組織体として捉えて学校の先生の営みをわかっていくのはいわゆる「教職」の課程です。一方で,言語教育についていえば,日本語教育であれ応用言語学であれ,その多くは教育学部でないことも多いし,教育学部であっても「養成課程」の外側にあり,学校の話とは別の世界の組織に位置付くことが多くあります。結果的に,「両者を併せ持って学ぶ」という場自体が日本の中に非常に少ないということがあります。(ちなみにこれは「都市部だからある」というわけでもないのです。設置規準や設置の経緯などのために)
しかしこの結果,「外国人児童生徒の教育」はできても「外国人児童生徒をめぐる教育全体」を考える場がかなり限られているということが出てきます。
②「学校全体の設計」に目配りをする学びの機会が希薄
近年は,学校教育関係の大学院の多くは教職大学院になりました。僕は教職大学院自体はとても大切な場だと思っています(今は博士課程(前期後期)担当ですが,以前は教職大学院担当で,その意義はとてもよくわかります)
ただ,教職大学院の場合,多くは「実践力向上」ということを看板に掲げるために,「個の授業力の力量向上」という面に焦点化した養成になることが多く,カリキュラム開発や組織開発,研究開発といった「学校全体の設計」に目配りをしたり,その発想を具体化するような学びに向きにくい構造があります。
また,実践力向上という視点はどうしても博士課程につながりにくい(そもそも学校現場から来る場合,人事上2年以上の修養を想定していない)という問題があります。
学校の中のカリキュラム開発,組織開発,研究開発といった「具体的なことを伴うのだけれども俯瞰的な視点をもった設計的視点」を養っていくこととと,それをもって学校でいえば30代以降「初任以降」確実に求められるような中堅的な視点,教務主任,主幹教諭,研究主任といったポジション,教育行政で仕組みづくりを担う指導主事職,地域ボランティアやNPOで求められる組織コーディネートの力,研究者……このあたりの人づくりをどうしていくか。
①②の両者を作っていく視点が必要だろうなと思っています。
*これらは普遍的な視点で書いていますが,一方で「必要だけれど存在しない。でもうちにはある」という角度の分析から,私のいる所属組織(広島大学大学院人間社会科学研究科 教育科学専攻 教師教育デザイン学プログラム 学習開発領域)のブランディングに向けた「うちの組織の良さの整理」でもあります。がんばります。