学習開発学領域 教育学系で読む『よい教育研究とはなにか』

学習開発学教育学系の院生たちと教員たちで『よい教育研究とはなにか―流行と正統への批判的考察』を後期は読んでおり,この前読了した。

ビースタのこの本は訳者としてはとてもありがたく,哲学的な本にもかかわらずよく売れている。
ビースタは,いわゆる教育研究の中にある「エビデンスにもとづく教育研究」や「学習科学的な研究」を動かす社会の前提や研究者の前提にある「(アングロサクソン的な実証的)教育研究」を批判して,「(ヨーロッパ的な価値に基づく規範的な)教育学」の意義を捉え直して世に問おうとしてる。

その点で,ビースタの「仮想敵」はエビデンスにもとづく教育を前提としている分野だ。
訳者の4名が英語教育学や日本語教育学であるのは,まぎれもなくそうしたことの前提になっている世界に「ちょっとまった」をかけたかったからもある。

ただ,なんとなくの口コミを見ていると,この本の日本での流行先は「教育学」的な方向性が多く,そもそもヨーロッパ的な価値規範の教育学の文化が強く残っているところが多い。
決して「学習科学や心理学,英語教育学や日本語教育学の世界で読まれて前提を揺さぶられた」みたいなところではない(もちろん読まれていることは事実だけれど,多分少数派)。
その点で日本での普及は「揺さぶられた」よりも,実はむしろ,「それみたことか,私たちのやっていることはやっぱり正しかったのだ」的な読まれ方をしているのではないかと,ときどき思っている。

今回の上の大学院での読書会のおもしろかったのは,うちは必ずしもそうした価値規範の教育学の人たちだけではなく,教育工学や認知心理学など,「エビデンスにもとづく研究」の人たちと,教育史学や方法学など「価値規範にもとづく研究」の人たちが一緒にいることにある。
だから,読んでいていろいろな議論が起きやすい。「そうは言ってもさー」に展開していくので、それが非常によかった。

エビデンスにもとづく教育研究の世界の問題はビースタのいうとおり存在している。
だけれど,価値規範にもとづく教育学の世界も,権威と権力が混在してまみれ,「載せない査読」「載らない学会誌」が跋扈していたり,ジャーゴンに閉じられて閉鎖的だったり,そういうことはたくさんある。
僕らはここに目を閉じたまま「それみたことか」を言っていては進歩がないのも事実で,ね。