『人と社会をつなぐ評価』としてナラティブ評価を提起した意味

8年かけてとりくんできたものが,ようやく1つの本となりました。いわゆる「アンソロジー本」ではなく,共同研究をしていた5人でかなり検討しながら,共同で「博士論文を一本編む」ような形で作りました。
教育実践の営みの中で,それを担う先生たちに「評価」と聞くと大きく2つのタイプの反応があるような気がします。「数値的に厳密なもの,間違いのないもの」という捉え方と,「評価なんて邪魔,大事なのは実践だ」という捉え方。
実はこの両者は,根底のところで同じところを見ているのではないかと,思います。そして,この本はその「どちらでもない」方向性をめざしています。「評価は大切だ」しかし「それは数値的な厳密さではないものでつくられるし,それをつきつめていいものだ」という考え方に立脚しています。
そこで提案しているのが「ナラティブ評価」という概念です。
評価研究の多くは,「ツールの提供」という形で,「こういうツールを使えば評価できる」を謳うものが非常に多いのですが,この本はそうではなく(もちろんそうした読みも可能ですが),「評価そのものの考え方のひっくり返し」をねらっています。そして,その評価の根本原理を得ることで,「評価に縛られ,使役される実践者」ではなく「評価を飼い慣らし,使役する実践者」に転換させていくことを狙っています。その延長上に「ナラティブ評価」を置いています。
「日本語教育」を舞台の対象としていますが,上のような評価をめぐる根底に流れる「厳密さ」や「忌諱」の感覚は教育の世界全体に蔓延しています。その中で,いわゆる「マイノリティ」(ここでは,教室の大きな流れからはこぼれ落ちてしまう。しかし,実は価値を持っている。)はますますそこにあるはずの「価値」を汲み取ってもらえないことが多くあります。
日本語教育という「外国につながる人たち」を対象にした教育分野にあえて光を当てることで,こうした評価の捉え方によって価値をすくいあげていくことができること,またそうしたコミュニティの豊かさや暖かさを実感していけるようにしています。
実際,すでに,学校教育の現場でもいくつかの手ごたえを,ここまでに得ています。例えば,先日2025年2月の広島大学附属小学校の研究大会で,このナラティブ評価の観点を用いて小学校カリキュラム評価を用いた発表と「ヒロガルブック」の開発を全体の場で紹介されたように,日本語教育だけではなく,広く学校教育につながる形で芽吹いています。(「ヒロガルブック」の形でナラティブ評価を説明した論文は以下)
本書の構成
- 序章 なぜ、今、教育評価なのか。それを日本語教育で語るのか (南浦涼介)
- 第1部 理論編―人と社会をつなぐナラティブ評価
- 第1章 教育評価研究の系譜と「評価」概念の問い直し (石井英真)
- 第2章 日本語教育における評価研究の系譜(南浦涼介・三代純平・石井英真・中川祐治・佐藤慎司)
- 第3章 人と社会をつなぐ評価―ナラティブ評価の可能性(三代純平・南浦涼介・佐藤慎司・中川祐治・石井英真)
- 第2部 実践史編―実践史の中のナラティブ評価
- 第4章 善元幸夫の実践からナラティブ評価を発見する (南浦涼介)
- 第5章 総合活動型日本語教育における評価再考 (三代純平)
- 第3部 実践編―社会とつなぐ実践とナラティブ評価
- 第6章 出会いと学びのデザイン (三代純平・米徳信一・神吉宇一)
- 第7章 「生活者としての外国人」と地域をつなぐ実践 (中川祐治)
- 第8章 声と姿でつなぐ子どもたちと学校・地域―基町小学校の学校づくり(南浦涼介・二宮孝司)
- 第9章 多様な言語観・言語学習観を考える (佐藤慎司・嶋津百代)
- あとがき (三代純平)
- 編著者紹介
序章から第1部は理論編。
なぜいま,あらためて評価にこういう本が必要なのかと言うことを提起した序章から,教育学における教育評価の系譜を歴史的に改めて編み直し,本書の評価がそのどこに位置付いているかを俯瞰的にとらえたものが第1章。
日本語教育という言語学や心理学からの影響が強い実証研究の世界において優勢の「厳密な評価」概念がどのように生まれてきたか,その系譜と課題はなにかを示したのが第2章。
その代替として「ナラティブ評価」とは具体的にどういうものかを概念的に提示したのが第3章です。
第2部は実践史編。
「実践史」という概念は日本語教育ではあまりなじみがないのですが,教育学ではとてもなじみ深い研究手法です。「ナラティブ評価」という概念が何も新しいものではなく,歴史的に教師たちは実践の中でたくさんされてきたということを改めて過去の実践の中から捉え直しています。
外国につながる子どもたちの教育実践を1970年代から蓄積されてきた善元幸夫氏に焦点を当て,「なぜ子どもたちの作文から実践を編み直すのか」「そこにかけたねがいはなにか」という点から,実践と評価観に埋め込まれた「ナラティブ」の点から人と社会をつなごうとした評価観をすくい上げていく試みが第4章。
「総合活動型日本語教育」という2000年代に早稲田大学の留学生に対する教育実践から広がっていった試みを,当時大学院生だった著者の三代さんが,改めてその意味を実践の中心にいた細川英雄氏の視点から編み直して,そこにある「ナラティブ」と人と社会の接続性の評価の意味をすくいあげたのが第5章です。
第3部は実践編。
編著者になっているメンバーが,それぞれの場で関わった実践を,「人と社会をつなぐ評価」として改めてナラティブを読み取りながら分析していく章です。留学生と社会をつなぐ試みの第6章,福島における生活者としての外国人と地域を結ぶ試みの第7章。外国につながる子どもたちの多い小学校が,地域とのつながりの中で学校をつくりなおしていくことをナラティブ評価の点から捉え直した第8章。海外の日本語教育と日本国内の日本語教育に関わる教育現場との接続交流の実践の価値を,ナラティブ評価の観点から捉え直している第9章です。
個人的には,第8章の広島市立基町小学校の章は,長くそこに関わられてきた二宮先生や当時の小学校の先生方への聞き取りでできた大切な章で,この章を書くためにこの評価研究をしてきたのかもしれないと思っています。
よろしければ,手に取っていただければ幸いです。