事後雑感です。2025年2月22日(土),機能言語学と学校教育の言語のシンポジウムを開催しました。われながらめずらしいシンポジウムをつくったと思います。
外国につながる子どもの教育で定番の「よく聞く人たち」が出てくるわけでもなく「え,この人が?」「この人は誰?」という感じだったんじゃないかと思います。といってもいわゆる「外国につながる子どもたちの教育」でよく登場される方々というわけではないだけで,それぞれの人はものすごい力をもっている人たち。(僕はそれが大事だと思っている)
そういう構成をあえて仕掛けたのですが,「機能言語学」自体が海外と比べてもガラパゴス的に日本では普及しない状況もあり,内容も実験的だったと思います。
発表者も言語学・国語教育学・教育方法学・外国人児童生徒教育学と異なる基盤で違うところから1年かけて練っていきました。
【問題提起】庵功雄さんからは,「やさしい日本語」からはじまった言語学的な観点を社会実装していくことと同様に,言語学的視点の社会実装において「機能言語学」もまた重要な視点になりえ,外国につながる子どもたちの教育において今回は検討していくことの重要性。
【機能言語的視点の提供】次の佐野大樹さんからは,ご自身が長く関わってきたさまざまな情報技術の観点もふまえながら,選択的体系機能言語学の視点をわかりやすく提示,説明し,「機能言語学」という視点が,従来捉えられてきた「構造言語学」とどう違うのかの基本的概念を具体例とともに出していただきました。
【外国人児童生徒教育との接点と論点】3番目の僕からは,実際の外国につながる子どもたちの教育研究において,「機能言語学」的な視点が薄いことにより,子どもたちの内面の言語の問題に焦点が行きすぎ,その外側に広がっている「言語」がどのようになっているものかという点に視点が行きにくくなっている状況を指摘しました。それに対して教師教育研修の具体から視点形成の例を示し,それをさらに広げていくために「マルチモーダルな言語の視点」と「カリキュラムとしての視点」の必要性を提示しました。
【実践可能性としてのマルチモーダル】奥泉香さんからは,その「マルチモーダル」への拡張を,具体的な絵や図像をもとにした機能言語学的な発想からの子どもの読み取りについて,ご自身の研究をもとに示していただき,「言語」を単に文字言語だけで捉えるのではない,さまざまな記号を用いた読み取りや表現に拡張していくことによって,包摂的な視点をつくっていくことの可能性を指摘しました。
【実践可能性としてのカリキュラム】5番目の小栁亜季さんからは,イギリスの1970年代の「言語意識運動」によるカリキュラム改革の展開とその終焉を事例に,移民の子どもたち,外国につながる子どもたちを包摂していくための言語教育のカリキュラムが,学校という場においてどのように展開しうるのかを事例をもとに示し,日本への示唆を示しました。
バラバラだったかというとそうではないと僕は思っています。実際シンポジウムではバラバラなものがバラバラのまま,あるいは同じすぎて予定調和というものが多いです。今回はそうではなく「バラバラな奏者がつくりあげていく堅さが残るけれど,ジャムが生まれ,何だかグルーブが生まれる」状態だったように感じました。
だからか感想は「面白かった,けど難しかった」が目立ちました。「面白さ」と「難しさ」の間にはいくつも論点があったと思う。
- 語用論とSFLの異同
- 批判的社会言語学との異同
といった言語学的・言語教育学的論点から
- 在籍級と取り出し級をつなぐ言語的鑑識眼としてのSFLの可能性
といった教育学的論点
- 学術言語学と学校言語学
といった学際的論点まで。
言語学内部の語用論や批判的社会言語学とSFLの異同はわりと簡単に説明できるものだと思います。一方で,教育学的論点や両者の学際的論点は単純な学術ではなく,制度や実務の間をめぐって実はかなり可能性も課題もあります。この辺の宿題を改めて整理しながら,探っていきたいと思います。